b4e74bc3.jpg1987 NBAへ
 そしてとうとうNBAに入団。地元インディアナポリスでドラフトが開催されつくづくインディアナに縁があり、今やペイサーズ史上1のフランチャイズプレイヤーとなったが、入団当初はブーイングをくらった。フロントはK・ジョンソンを狙ってたが、先に指名されると見られてたので(実際7位でキャブスが指名)、テレイス・フランクかインディアナ大のスター、スティーブ・アルファードを特にファンが推していた。
 
 指名されたとき地元ファンにブーイングされたが(ドラフト時自宅にいたので直接ブーイングを浴びることは無かった)、ご周知の通りミラーを採って大正解。上の二人の名前はかなりのペイサーズフリークでないと記憶にもないだろう。

 そしてこの二人が消えた頃にはインディアナファンはレジーを認めるようになった。
 
 当時ペイサーズのHC、ジャック・ラムジー(HOOPの記事によくでてくる)は才能を見抜き、GMドニー・ウォルシュ(現在CEOも兼任)もレジーを推薦した。(ウォルシュがいるからレジーはずっとインディアナにいると思ってもいいかも?)
 実は本人はフィラデルフィアに行くと思っていた。それは当時シクサーズにいたバークリーが推していたからである。
 その年の同期は1位D・ロビンソン、5位ピペン、10位H・グラント、12位M・ボーグズ、18位M・ジャクソンなど。みなさんすでに引退しております。
 このシーズンの新人王はニックスのM・ジャクソン。のちにインディアナをレジーと共にファイナルに導くお方。ちなみに新人王として1番低い指名順位でドラフトされたプレイヤーである。ロビンソンは兵役で2年後にNBA入りし新人王獲得。


ルーキー1987〜1988 ルーキー
 レジー入団前のペイサーズの成績は悪く、プレイオフからも6年遠ざかっていた。前年はその年に新人王を獲得したライフルことC・パーソン(現ナゲッツのW・パーソンの兄)の活躍で、なんとか5割でプレーオフ進出。 しかし、レジーの1年目はプレイオフを逃した。
 1年目はベンチ。デビュー戦の対シクサーズでは10点を挙げる。その後も得意の3Pを遺憾なく発揮し、怪我もなく82ゲームに出場。バードの持つ3P成功数の新人記録を破り成功率でもリーグ17位で、ルーキーセカンドチーム入り。

HC(ヘッドコーチ)J・ラムジー、
38勝44敗 ディビジョン最下位 イースト9位


2年目1988〜1989 2年目
 スターターに定着し3Pで、リーグ9位の%、3Pコンテスト9人中4位などと3Pにさらに磨きがかかり、チーム2番手の得点原。3Pコンテストに初出場で9人中4位の成績を残す。
 しかし。チーム成績は最悪だった。HCがシーズン中に3回も変わったといえば分るだろう。NBAは成績悪いと真っ先にHC解雇。 

 この年オランダ人センター、R・スミッツ、224センチを獲得。ルーキーファーストチームになる活躍を残す。さらにドイツ人のD・シュレンプもトレードで獲得。確か2004〜2005シーズン、ペイサーズは唯一NBAで外国人がいないチームだったが、まだ外国人プレイヤーも少ない時代に二人の外国人プレイヤーを獲得したペイサーズは時代を先取っていたのかも。

HC J・ラムジー→M・ダニエルズ→G・アーバイン→D・バーサス
28勝55敗 ディビジョン最下位 イースト10位


3年目1989〜1990 3年目
 パーソンからエースの座を奪いとりチームの得点王に(リーグ8位)。3Pコンテストでは準優勝(8人中優勝はクレイグ・ホッジズ(CHI))しかも惜しくも1点差。そしてペイサーズからは13年ぶりのオールスターに選出。チームも好調でプレイオフ進出。
 しかし、FR(ファーストラウンド)この年のチャンピオン、デトロイトにあっさりスイープされ、レジー初のプレイオフはすぐに終了。

HC D・バーサス
42勝40敗 ディビジョン5位 リーグ8位
FR敗退
*この年マジック、ヒートが加入しホーネッツがウエストに行き、イーストが13チームに


4年目1990〜1991 4年目
 この年もレジーの成長は止まらない。今度はFT(フリースロー)でリーグ1位(.918)を獲得。FG%5割以上、FT%9割以上は史上4人目の快挙。平均得点もリーグ12位でピュアシューターとしての能力を見せつけた。初のトリプルダブルも達成。チームはHCがボブ・ヒルに変わってなんとかプレーオフ進出。シュレンプが2年連続シックスマン賞を獲得。
 プレイオフではFRでバード率いるボストンを最後まで追い詰めたが、ゲーム5に3点差で敗れてしまった。
 
 この年の1月10日のブルズ戦がレジーの忘れられないゲームがあった。レジーは絶好調で前半に17点。チームも11点リード。パーソンに「50点狙え」としきりに言われた。結局44点を挙げ勝利。2年後にキャリアハイを更新するが、レジーは思い出に残りゲームはこれと答える。

HC D・バーサス→ボブ・ヒル
41勝41敗 ディビジョン5位 イースト7位
FR敗退
*この年なぜかマジックがウエストへ、そしてホーネッツがイーストに戻る


5年目1991〜1992 5年目
 チームと契約更新し、チーム1位の年棒(リーグでは6位!)を得て自他共に認めるペイサーズのエースに。この年はリーグ16位の平均得点と、他に目立った成績はなし。チームもプレーオフには出るが、今だ5割ラインの成績。プレイオフではFRでまたもボストンが相手だったが、あっさりスイープされる。

HC B・ヒル
40勝42敗 ディビジョン4位 イースト7位
FR敗退 
*マジックがイーストに戻り14チームに


6年目1992〜1993 6年目
 前年少し確率の落ちた3Pが復活し、3Pコンテストに出場(8人中5位、優勝はM・プライス(CLE))し、成功率13位、成功数1位。FTはリーグ7位で、平均得点はリーグ14位。キャリアハイの57点もこの年に記録。チームはパーソン放出でスターターになったシュレンプがオールスターに。しかし、チームはまだ5割をさまよう。

 そして1993年2月10日にジョーダンを殴った
 
 プレイオフの後の因縁のライバルとなるニックスと初顔合わせ。レジーは31点のアベレージを残すが、1−3で4シーズン連続FR敗退。

HC B・ヒル
41勝41敗 ディビジョン4位 イースト8位
FR敗退
 
次のシーズン再建やラリー・ブラウンがHCに
ポッチットナ