0c00dd86.jpg本名 レジナルド・ウェイン・ミラー(reginald wayne miller) 歴治米拿(中国語)
201cm 81kg 背番号31
足のサイズ14 ナイキ着用 
ポジション SG(シューティングガード)  
生年月日1965年 8月24日 蛇年 
出身地 カルフォルニア州リバーサイド
学歴 リバーサイド・ポリテクニック高卒 UCLA卒 
1987年 ドラフト1順目11位指名 生涯ペイサーズ
趣味 TVゲーム、釣り、スタジアムでの野球観戦

 レジーの家族はスポーツ一家。次男ダレルはMLB、エンジェルスで5年間キャッチャーをしていた。妹タミーはバレーで大学に進み、ナショナルチーム入り。
 
 そして女ジョーダンといっても過言ではない女子バスケット最も有名な姉シェリルは、83,84年に南カルフォルニア大を全米チャンピオンになり2−4年までMVP受賞。84年のロス五輪で金。95年バスケ殿堂入り。他にもWNBAフェニックス・マーキュリーのHC(ヘッドコーチ)を勤めたり、NBAの解説、リポート(たまにBSでみる。やはり姉弟、レジーに似てる)もこなす。引退報告も彼女からされた。
 
 長男ソールジュニアは本格的にスポーツをしなかったが、プロのサックス奏者でたまにホワイトハウスで演奏している。
 幼いシェリル&レジー そして5人兄弟の4番目レジーはご存知バスケットでNBAの歴史に名を残すプレイヤーとなった。しかしレジーのバスケット人生は生まれた時から障害があった。
 
 今のレジーからは全く想像できないが、実は生まれつき足の付け根の骨が歪んでおり、足首が内側に曲がっていた。生まれたときは全く歩けないとも医者に言われ、4歳まで装具をつけていた。だが、レジーはゲームでコートを縦横無尽に動きディフェンスを振り切っている。それは母キャリーとの血の滲む(足の血行をよくするため、毎晩1時間ごとに起きて寝返りをうたせた。)9ヶ月間のリハビリのおかげである。アメリカの母は偉大である。

 
 親は子供が悪の道へ進まぬようにスポーツを勧めた。「週末の夜は宿題と練習」とパーティーにも生かせてもらえない、朝食も夕食も毎日同じ時間という陸軍で働いていた厳格な父ソールに育てられる。
ポジションはピッチャーとか
 レジーは小さい頃バスケより野球が好きで実際にバスケより野球のほうがうまかったという。12才の頃打率は5割という。野球漬の毎日だったが次第にバスケのことを理解し始めると自分はノンストップのスポーツが好きだということを自覚し、バスケに目覚める。
 






軍人の父親 流石アメリカの家庭、裏庭にコンクリを流し込んだ程度で3Pの距離もないほどのものだがバスケコートまで作ったのである。そして父はシェリルのチームメイトを呼び庭でレジーと共にワークアウトを行った。
 
 また兄弟と勝負をするようになっただが、負けっぱなしの連続。特にシェリル相手の1ON1では辛酸をなめた。しかし、その1ON1から今のレジーのプレイスタイルが誕生した。身長差があり簡単にブロックされてしまうので、一歩下がり、素早いリリースで高い弧をえがくシュートをすることは学んだ。さらに外すことによってボールが花壇に飛んでいってしまい母に起こられるという大変な目に毎度あっていることもマスターに繋がった。しかし、マスターしたからといって勝てるまではいかなかった。

 
 そんな最強の姉と組んで、レジーはいかさま賭けバスケをやっていた。賭金は10ドル。まずレジーが自信満々な2人に吹っかける。その次にシェリルがいかにも貧乏そうで弱そうな格好でやってきて、一気に5点先取させる。そこから猛反撃し余裕で10ドルかっさらい、マックでハンバーガーを食べるという。


誰がレジーだかわかりません1980 高校入学
 レジーがバスケットのスタープレイヤーになったきっかけはゲームでスタメンのプレイヤーデイブ・マイヤーズがユニフォームを間違えて持ってきたことにより出番を得たからである。するとレジーはそのゲームで30点オーバー。さらに次のゲームでも30点オーバーで実力が認められた。
 そのデビューを喜び勇んで親に報告しようとしたら、同じ日にシェリルは105点をあげていた。親は喜んで見せるのに苦労したそうだ。 


卒業の時両親と1983−87 大学時代
 UCLA Bruins(ブルーインズ)では所属カンファレンスでは強豪チームとなったが、NCAAトーナメントまでには進めなかった。だが個人スタッツとしては素晴らしく、シーズン最多MVP受賞(6回)のジャバー(NBA通算得点1位。NCAAでは3度全米1に輝く。ジャバールールとしてダンク禁止ルールがNCAAで施行される)に次ぐUCLA歴代2位の通算得点を記録。1年目にはチーム新人王、2年目にチーム得点王。3年のときは25.9点のアベレージ。
 
 4年時に初めてNCAAトーナメントに進出するが2回戦敗退。85−87にはチームメイトにプー・リチャードソン(89にNBA入り)とロドマンのお守り役、ジャック・ヘイリー(レジーと同期の87年にドラフト指名されるが、スペインリーグでプレイ後ブルズに入団。ロドマンとはスパーズ時代仲良くなった。)がいた。
 

 ちなみにその後UCLAは2006年世界選手権大陸予選で代表に選ばれたタイアス・エドニー、95年ジャパンゲームでネッツとして来日したエド・オバノン(兄弟揃ってすぐNBAから姿を消した・・・)で優勝した。バロン・デイビス、アール・ワトソンで強豪チームに。


NBA編に続く
ポッチットナ