a26ed8c8.jpg NBA最初のスーパースターで、偉大の選手50人の1人でもあるジョージ・マイカン。50人のメンバーのマラビッチ(41歳)、チェンバレン(63歳)に続きまた偉大なプレイヤーが死去しました。享年80と長生きでした


 NBA創成期(初めはBAAという名で別団体NBLと吸収合併(M&A)によりNBAという名称に。当時17チーム。)で、レイカーズがまだミネアポリスにあった時。(ミネアポリスが五大湖に近いため湖のLAKEと名付けられた。)背番号99でゴーグルした今の時代でも珍しいお姿でした。


 現在では208cm、110kgはサイズ的にCとして物足りないが、当時はシャック以上の支配力があった。今のプレイヤーに例えると、B・ウォレスが(206cm、109kg)シャックのような支配力を持っていると想像するのがいいかな?


 なにせバスケットのルールを変えたのだから。当時の得点王が平均23点でゲームの平均点も70〜80点とロースコアだった。
 マイカンはNBL(ライバルリーグだがすぐにNBAに吸収される)で2年プレイし、NBAのレイカーズに入りいきなり平均28点をたたき出した。ジャバーの代名詞であるスカイフックの元祖はマイカンだ。そら抑えることは困難よ。

 そんなマイカンの得点力を抑えるためにNBAは、
ペイントエリア(ゴール下の長方形、国際ルールでは台形)の面積を6フィート(どんな形や?って思った人はこの動画を見るとよい)から倍の12フィートに3秒ルールのエリアを広げゴールに長居させないようにした。


 それから、とにかく対戦相手がスローダウンで得点を抑えたゲームが続出。18−19と史上最低得点が記録された。観客は退屈極まりないな。そこから24秒ルールが誕生した。これによりアップテンポなゲームになった。

 だが、それが採用されたシーズン前に30歳のマイカンにダメージが蓄積されており、引退。当然戦後なんて今見たいに飛行機移動なんて恵まれた環境じゃないしね。1年後復帰したが、かつての活躍は見れず、再び引退。7年しかNBAでプレイしなかったが、偉大なプレイヤーとして語られている。以下の成績でも納得だ。


 入団しすぐにバックトゥバック、スリーピートと優勝5回。得点王3回、リバウンド王1回、オールスターMVP1回。当時シーズンMVPはまだなかった。色んな記事にMVP獲得とあるがそれはNBL時代のもの。NBAではマイカンのラストシーズンから始まったが、最初からあれば3度くらい選ばれたでしょ。


マイカンの名言
「必要なのは私、マジック、あるいはジョーダンの再来ではない。『オリジナル』のスタイルを持った真のスーパースターこそバスケットの将来を担うものなのだ。」


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